梅原真デザイン事務所 - UMEBARA DESIGN OFFICE
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しまんと地栗

ziguri

土地の個性の上に生きていることを喜ばんかい!

池田

しまんと地栗、しまんと茶など、四万十ドラマの商品を通して梅原さんの約30年にわたるデザイン、商品に対する考え方を一連で見ることができます。長いスパンでやっていこうと考えていたんですか。

梅原

そんなこと、まったく考えてへんな。結果として30年近く経ったというだけ。1989年ごろやったかな、俺が旧十和村に4年ほど住んでいたときに、現在の四万十ドラマの社長である畦地履正くんが、沈下橋を渡って俺の家に貯金してくれと言って来た。当時、彼は農協の職員でね。その時に「俺たちも村で何かしたい」と言うから「自分で考えて来い。俺がやることじゃないやろ」と突っぱねたわけよ。すると、あいつ、びっくりするぐらい、ダサいコピーを考えてきた。「たかが四万十、されど四万十まつり」みたいな(笑)。そこがスタートやな。畦地くんのアプローチが早かった。その後、彼は農協をやめて、公募していた第三セクター「四万十ドラマ」の代表となった。今は地域商社になっています。

池田

最初はまず、お茶から、怒ることから始まった。

梅原

とりあえず、おまえら、このバカタレが!からやね(笑)。四万十では段々畑の中で、人が手で茶葉を摘んでいる。これってすごいやんか。でも地元では「静岡はセンサーロボットがシュッシュッと摘んでくれるのに、わしら、手でこんなんでこんなんよ」と羨ましがりながら、茶葉は100%静岡に送っていた。 「おまえら、何言うてんの、手摘み? 目で見て一芯二葉で摘んでるんやで。向こうは機械や。手で摘んだ価値をそれなりの価値にしようや。この価値を感じんのか。いくらなんでも自分らの茶ぐらい作れ」と。そしたら「けんど、梅原さん、わしらもメシ食わんといかんけんね」と言った。今でもその会話を耳にくっきり覚えている。「100あるうちの90でメシを食え。10でええわ、それで自分らの茶を作れ。おまえらに足らんのは10の考えや、勉強せえ」という話をした。「しまんと茶」は、その10を使うことから始まった。それまで自分らの茶の名前もなかったんやで。茶農家の価値観を逆転させるまでに7、8年はかかったな。で、お茶を作ったら、今度はお茶請けが要るやろ。そこから廃れていた栗に挑むことになった。

池田

そんなに熱く梅原さんを動かすものってなんですか。

梅原

そんなカッコええもんでもない。日本人って、ここには何にもないとすぐに言う。たとえば四万十なら良くも悪くも山がいっぱいあるという個性や。ぐにゃぐにゃに蛇行する川が流れているという個性や。その個性の上に成り立っているから面白いんやろ。フランスは何千もの小さな町や村が合併せずにあるのは、自分たちの個性があるから。おまえの町とは違うわいと、500人単位のまちが言うてるわけよ。そういう地域に生きるプライドみたいなものが、今の日本には無くなった。俺たちは、土地の力を容認しようぜ、それが個性やんか。良いところも悪いところも自分たちの個性。それを認識して、よそを羨まず。それなのに何にもない?あるやん、怒るぞ!と怒る。自分たちの土地の地形や風土や、そこの個性の上に生きていることを喜ばんかい!というのがベースにある。みんなに怖い、怖いと言われるけれど、「おまえら、ええ加減にせえ」という気持ちが根底にあって、実際、その怒りを抑えられないキャラクターでもある。

池田

本当のことを言うと、怖いということにつながるんです。社会では (笑)

梅原

怖がらせた分だけ、笑いでオフセットせにゃあかんと思ってるんやけどなあ。もう70歳の老人になってきたから、そろそろ品よくせにゃあかんな。

デザインが勝ち過ぎると、土地の力を飲み込んでしまう。

池田

ある日、荒れ果てた栗林がケミカルフリーの山に見えた。その山で無農薬の地栗を作ろう。マイナスとマイナスをかけたらプラスになるというウメバラスイッチの法則ですね。

梅原

2015年にカンブリア宮殿のテレビの取材があって、荒れた山の奥の栗林に初めて分け入った時やったな。その山の現実をまざまざと見た。お金を生まない山は価値がない。だからJAが取扱品目から栗を捨てたら、皆、自分たちの生業を捨てた。それまでどんどん化学肥料や農薬を入れてケミカルにしていた栗林は、15年近く放置されたお陰で、ケミカルフリーの山になっちゃったわけよ。頭の中を切り替えれば、そこにまったく真逆の価値観が生まれるやん。でも、誰もそこを見ない。経済という大きな道しか見てへんからや。小さい道をみれば、山の栗もそういう目線で再生できる。経済が大事です、経済も大事です。でも、その延長線上に何があるの?とは誰も言わへん。

池田

つまり、しまんと地栗は単にパッケージやポスターのデザインだけの話じゃない、と。

梅原

この疲弊した山を運営していくためにはどうすればいいのか、デザインで運用していく。デザインというものが考え方も生み出し、その考え方をコミュニケーションすることで一定の価値が生まれてくる。でも、さじ加減を間違えてデザインの価値が大きすぎると、デザインが勝ち過ぎてその商品が売れない。デザインの方が土地を飲み込んでしまうんや。そうではなく、土地の力を引き出さんかい、デザインはちょっとでええやないか。そこにパッションと自分の考えがあれば、そこに何かを感じるよね。そういうことを俺はデザインの価値にしたいわけ。だから、パッケージやポスターの話じゃないのよ。その手前がある。自分たちで「しまんと地栗」というブランドを作り、15,000本の栗の木を植え、山を救い、インターネットで販売するために栗工場を作る。そうやって、ものの価値観を変えていくことを伝えるには、しまんと地栗は大きなゾーン。山の方にアイデアがないということも含め、今の時代に合ったテーマであることは確かやね。

池田

その無農薬の地栗を使ったジグリキントンは栗と砂糖だけ。これもデザイン?

梅原

「栗そのものを食べる」がコンセプトやからね。田舎の山のものだから、添加物や保存料は入れないようにしようということでやってきた。しかも、従来は保存のために加糖率30%が基本だけれど、ジグリキントンは加糖率10%まで抑えている。それが四万十ドラマの基本でもあり、今の彼らの価値にもなっているよね。
田舎の人にとって、道は大きいほうがいいわけで、日持ちは長いほうがいいわけで、味は甘いほうがええわけで、全部が逆なんよ。物事の本質、社会の本質、社会が何を求めているかの本質さえ、わかってない。都会に売っていくためにはその概念を変えんと売れん。味は薄味で保存料は入っていません、しかし、日持ちはしません、4日経ったらしりませんよ。これぐらいの自分たちの気持ちがないと売れないよということを、ずっーと言ってきた。そこは一気通貫で守れよと言ってある。

池田

商品づくりの段階から、梅原さんの「おいしいデ」は始まる。

梅原

その商品をおいしく見せるには、土地の力が必要。土地のことを知っていないと、おいしく見せられない。その土地の状況がそこに乗っかっているから、おいしいと俺は思っているから。依頼して来た人に会って、土地を見て、その状況を自分の中に取り込まないとデザインはできんよね。
そして、実際に商品自体がおいしくなければ、それは売れない。だから中身の方が強くないといけない。中身もデザイン。おいしそうに見せて、それを食べたら本当においしいとなると、次もリピートにつながるわけで、だからデザインをする前に要注意よ。おいしさは生産者が作り上げるものなので、それに対して、その本質をラベルにするのがデザインであるから、その背景であるモノづくりは彼らに責任があるよね。だから、そっちにも求める。「おまえら、俺のラベルで売ってるんじゃねえよ。ちゃんと、おいしいもん作れよ!」と怒るわけよ。そういう意味では相手のエネルギーが少ないと、俺も少ない。相手のエネルギーに合わせている。相手のエネルギーよりも俺が上になったらうまくいかん。

池田

そのお互いのエネルギーバランスの上に、しまんと地栗はある。栗に地という文字がついたのはいつからですか。

梅原

2016年に伊勢丹から出店してほしいという話があった時に、もっと都会と田舎のコミュニケーションを高めたいと思って、伊勢丹の地下で売れるようにパッケージデザインのリニューアルをした。「地」は土地の地、ケミカルフリーの記号でもある。それが都会の人の心に刺さって、初日の売り上げが70万円で、1週間で500万円売れた。1個800円もするの?と言いながら買って帰ったら「おいしい」と、次の日も買いに来てくれる。ちょっと高いけど、騙されていない感じがいいって言ってくれる。田舎のもの、砂糖しか入っていないもの、今はこういうものをひっくり返してラベルを見る時代やからね。お客さんがジグリキントンを見て、おいしそうに感じるか、安そうに感じるか、高そうに思うのか。全体像を見てレジまで持って行ってもらう。レジでお金を払ってくれて、このデザインは完結すると思っているから、俺は。

愛情を持って売るという
目の光り方を見ないと仕事は受けない

池田

2016年に「土地の力を引き出すデザイン」で、毎日デザイン賞特別賞を受賞しています。梅原さんのデザインの本質をより明確に語るコトバになりました。

梅原

あの賞って、自分で自分が何をしたのかを書いて提出しないといけない。自分で自分を褒めるわけやからね、最後のほうになったら気持ち悪うなってくるで。その時に思ったのはコミュニティーをデザインする、それを自分がデザインするという概念がイヤだから「土地の力を引き出すデザイン」にした。人間も含めたコミュニティーをデザインするなんて、僭越やろという感じがあって、わざと無粋な土地という手あかのつかない、イメージのつかない言葉を選んだ。でも、これがどこへ行ってもピタッとする。自分らの足もと、地面の問題やからな。

池田

実は、賞にはあまり関心がないタイプか思っていました。

梅原

デザインのうまさの競争がコンペであって、なになに賞を受賞した人がうまいとなっているけれど、それはデザインのスキルの競争であって、おいしさの競争じゃない。おいしさをどう伝えるかという競争は、デザインのコンペではない。そんなコンペはない。だから、俺はコンペに出さないし、出したことがない。そこは居直るしかない。俺はマジックで書いた下手くそな字に心惹かれるし、この下手くそな字の方がおいしいと思うからな。
毎日デザイン賞は、エントリー候補になったら、自分で資料を提出するという方式で、エントリーされてしまったのよ。「賞で自慢していいのはこの賞だけだよ」と、ある人が言うから。まあ、それだけのこと。

池田

こうなってくると、依頼主からどうしても成功を求められるでしょう。
ご自分ではどう思っているのですか。すごくうまくいったもの、うまくいかなかったものもあるとは思いますけれど。

梅原

そうやな。まっ、自分の作ったものがどのシチュエーションで並べられるかとか、どの位置に並べられるか、それによっても売れ方は違ってくる。依頼して来たその人が、そのモノを売る愛情があるかどうかというのが大きいな。そのものを本当に売りたいと思っていたら、どうするか。その人自体が愛情を持って売るという目の光り方を見ないと、その仕事は受けない。人を見ながらやる。熱意よ、熱意がないと、やる気にならへん。微妙なことでなので伝えにくいけどさ、目の光り方とか、目の前に座ったら、エネルギーってわかるよね。

ありがとう、スティーブ・ジョブス

池田

インターネットで売るための栗工場も、2021年4月に完成しますね。今や、注文もスマホから、ピッ!です。

梅原

四万十ドラマのサイトにスマホからピッと注文してもらったら、顧客になる。デジタルマーケットって、東京のマーケットの何倍にもあるわけで、ネットワークで関係を持てば全国、海外にまで広がる。そういうふうになる仕掛けを先読みで作っていく。だって、山は一人では生きられない。それはマーケットがないから。そのマーケットをスマホが作ってくれた。端末からピッとしたら、ピュッと登録できて、栗がダァと出ていく。もう、ありがとう、スティーブ・ジョブスよ!!
スマホは山が儲ける道具であって、都会から山にデジタルで注文がくるから、わざわざ都会へ出ていくリアルショップはもう要らん。スマホって、ある意味、嫌なもんやで。孤独を作る。みんな、下を向いちゃった。そんなもん作ってどないするねん ! と思っていたけれど、いやいや、ごめん、ありがとう。この端末1個で滅びた山が復活した。これからクロネコヤマトさんと一緒になって地域の存続も作って行こうやと。

池田

シマントジグリストアを覗いたら、山の栗工場からトラックが忙しそうに走っていくアニメーションを見ました。あれ、クロネコならぬ、くりねこヤマトの宅急便だったんですね。

梅原

コロナになって、さらに流通が変わったよね。俺は3年ほど前からクロネコヤマトと組んで何かできるんじゃないかと四万十ドラマに提案しておいた。友人の原研哉さんが「ハウスヴィジョン」という社会構造的なイベントをやっているんだけど、以前、クロネコヤマトの会長さんに会った時の話を彼から聞いたことがあって、宅配として相当な事業を考えているやなという印象を持った。それなら、地栗も一緒にコラボできるんとちゃうかなと思っていたわけ。それが「くりねこクーポン」です。
四万十ドラマのウエブサイトで商品を購入して配送する際、ダンボールの箱にこの「くりねこクーポン」が貼られていくというシステム。これをめくると次回の購入時に使える300円引きの割引クーポンと、ヒノキ風呂がプレゼントされる。ジグリストアのサイトにこのクーポンコードを入力してもらうことで、次回購入につなげていこう、そのチャンスを自分たちで作って行こうという狙い。

池田

こういう取り組みは全国でも初めて?

梅原

初めてかどうかはわからんけど、ヤマトさんが生産者と消費者とのコミュニケーションをクーポンでつなぐという取り組みは、まだ見かけないなと思ってクロネコヤマト高知支社に提案したみたということです。2020年秋から始まっています。

池田

これも、スティーブ・ジョブスが山の経済、産業、山の存続に一役買ってくれたおかげだと。

梅原

ヤマトさんのトラックがバンバン出て行き始めたら、経済も動くから対応の遅い行政はさておて、地域のことも自分たちの自治も運営はできるーということを、あのアニメに描いているわけ。デザインは本質を見極めて可視化すること。本質を見極めたら、それは永遠に続くことじゃないの?というのが俺の中にある。だから、最後のエンドは見えない。ゴールはない。それは俺が死んでも続くもんやという意味でのことやで。サスティナブルやな。

池田

これからは中山間はディメリットではない。

梅原

むしろ、もう山はメリットでいっぱい!!と言うてええんちゃうの。