梅原真デザイン事務所 - UMEBARA DESIGN OFFICE
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しまんと新聞ばっぐ

BAG

ローカルを掘って行ったらミラノに着いた

池田

いよいよ今年こそ、コロナで延期となっていた新聞ばっぐのミラノサローネデビューとなりそうですか?

梅原

昨年4月に新聞ばっぐを提げて俺もミラノに行くはずやった。今年は2021年9月5日から1週間の開催予定らしい。その頃にはコロナが収束するだろうという前提で開催日程をセットし直したのではないか。今、それに向けて準備をしているところ。

池田

また、なぜ、大胆にもミラノサローネに行こうと?

梅原

新聞ばっぐインストラクターの小笹智子さんは「イタリア同好会・高知」のメンバーでもあって、よくイタリアに行っていて、イタリアの人に「これはミラノサローネに出すべきだ」と言われたというのがきっかけ。イタリアはデザインを重要視するデザインの国やんか。特に北部の工業地帯はプロダクトデザインのアウトプットがすばらしいよね。その国の人から声をかけてもらった。声をかけてもらわんと、こちらから押しかけて行けない。新聞紙を折って作るこんなアナログなものを提げてミラノに来て出展してよということやからさ、そりゃ、みんな、面白がるし、面白がる。
調べてみたら、ミラノサローネは結構お金がかかるし、誰でも参加できるというものではなかった。俺も行ったことがあるけど、ミラノサローネは一つの建物の中で開催されていて、SONYやHONDA、世界中からいろんな優良企業が集まって、新しい時代へのデザインを提案していくところ。そのミラノサローネの期間中、周辺の町々では「ミラノデザインウィーク」というのが開催されていて、小さいどんなことでも自分たちのデザインを持ち寄って展示しても構わないというふうに、ミラノがデザインに関する場所を与えて一定のイベントにしている。この辺がまた、すごい考え方のデザインわけで、それなら新聞ばっぐも参加できるなと。ただし、自分たちで展示場所の交渉はしないといけない。小笹さんが広げたネットワークで今、2〜3カ所を候補に進めています。世界の人は新聞ばっぐをどう思うのだろう。自分たちの研究という意味でも、その場所に行きたい。

池田

新聞ばっぐは四万十ドラマの商品を入れるレジ袋代わりの、いわば「おまけ」という印象でした。そのおまけが、まさか、ミラノに行くことになろうとは。

梅原

スタートラインからいうと、確かにお茶のペットボトルを3本入れて、まさにおまけ的な要素になっていました。でも、そもそものスタートは30年前、俺が沈下橋の向こうに住んでいたとき、川岸の木々にビニールのレジ袋が引っかかっていた光景を見たのが始まりやからね。「四万十川流域で販売される商品はすべて新聞紙で包もう」という俺の考え方を、地元の主婦の伊藤正子さんがこんなカタチにしてくれた。
実は俺も最初、新聞紙で四角い袋を作ってみたんやけど、すぐにビリビリ破れていた。ところが2003年のある日、伊藤さんからしっかりしたものが出て来て、ええっ!と驚いた。新聞紙を何重にもして強くして、しかも、持ち手までついていた。そのクリエイティブさに俺は逆に驚いた。いっきにタノシイ知恵になったなあと。これって四万十から自然発生的に出て来たものやんか。それがスタートとなるきっかけやった。四万十にはもともと、ビニールやプラスチックはない。「あるもんでやろうや」というのが自分の根本にあるね。

池田

その「あるもんでやろうや」スピリッツ、考え方は今までお話を聞いた砂浜美術館も地栗にも共通していますね。

梅原

カツオ?あるもんでやろうや。栗?あるもんでやろうや。あるもんを全部使っていくことが、その土地の個性じゃない?その土地の個性に合わせて、そこにあるもんじゃない?あるもんを上手に使っていこうやというのが、根本的なもんじゃないの?それが本来の土地の姿とちゃうの?というのがベースにある。自分の仕事は全部、あるもんに価値をつけていこうやというのが、俺の基本にあるんちゃう?

池田

そうして四万十川のほとりにあるもんで作った新聞ばっぐを、レジ袋の代わりに使おうという提案が、これから世界に広がっていこうとしています。

梅原

そうやって自分たちのあしもと、ローカルをどんどん掘って行ったら、なんや、グローバルに行くやん。ローカルのさらにローカルの四万十川を掘って行ったら、反対側のミラノというローカルに着きましたーというような感じやね。

池田

それでこのウェブでのシリーズは LOCAL LOCAL というタイトルに?

梅原

ある人が言っていたけれど、グローバルは経済用語であって、東京もローカル、ニューヨークもパリも、みんなローカルだよね、一緒だよねと。つまり、地球の上では全部がローカルみたいな発想をせにゃあかん。今までは四万十川から空を飛んでミラノに行っちゃうぞと思っていたけれど、実は地球を掘って行ったらミラノに出たんちゃう? もうグローバルというコトバがハズカシイ。そういう考え方も含めてのタイトル。

ちいさな机の上でできるビジネス

池田

そのおまけだった新聞ばっぐも、レシピ本ができ、作り方を教えるインストラクターが生まれて、一つのコミュニケーションのツールになった。梅原さんが「これ、イケるんちゃう?」とピンときたところはどこだったんですかね?

梅原

日本人の器用さで、こんなのができるんやなあということ。昔、ばあちゃんたちが、タバコの箱で茶瓶敷きを作ったり、チラシの紙でカゴを作ったりしていたよね。ちょっとダサいけど、そこには「もったいない」という日本人の美意識がちゃんとあってさ。読み終えた新聞紙で作る新聞ばっぐにも、そのもったいない精神は同じように宿っているんやけど、クリエイティブさがあるというか、新聞の紙面を自在に使いながら、どの面をオモテに出すかというデザインもできる。そこには自分の感覚というか、センスも必要。毎年開催している新聞ばっぐコンクールも、もう9回開催したけど、まだまだすごいものが出てくるよね。人が考えていく多様な可能性があるなあと、毎回感動する。

池田

今、新聞ばっぐインストラクターは全国に600人以上と聞きました。

梅原

インストラクターがいない都道府県はないんちゃうか? ニューヨークやパリなどにもいます。

池田

一方、ビジネスツールとしての新聞ばっぐの可能性はどうですか。

梅原

今、四万十オフィス、東北オフィスに分かれていて、東北のほうは完全にビジネスになってるよね。北海道のロイズに2万個。
2011年3月11日に起きた東日本大地震後、宮城県の内陸部にある鳴子温泉に避難してきた人を受け入れていた「よっちゃん農場」の高橋博之さんが、「何が足りませんか」「何がほしいですか」と尋ねたら、「仕事がほしい」といった。そこで四万十ドラマを探し出して電話をかけてきたのが始まりでした。沿岸部での仮設住宅での仕事として「どうぞ、この新聞ばっぐをお使いください。仕事にしてください」と指導をしたのでそうなった。それが手仕事で東北の震災復興をめざす「海の手山の手ネットワーク」という組織になった。
実際、東北の人たちが仮設で作る新聞ばっぐは相当に良いデザインでさ、高知銀行につないでノベルティーとして買い上げてもらうという方法で年間150万円を3年間助成してもらって、東北のための指導と活動をした。「ちいさな机の上でできるビジネスになりそうだ、教えてください」と言ったのは、東北の彼らからのオファーやからね。地方の一点、四万十でやっていたことを震災が受け止めた。
東北は新聞ばっぐで少しでも稼がなければいけないので、ビジネスとして独立してやってください、四万十はワークショップを通してソフトを売りますわということで、東北オフィス、四万十オフィスと分けてリリースしている。そういう流れで新聞ばっぐは全国へと広がって行った。広げようとしたら、なかなか広がらんかもしれんね。

池田

あちらこちらで新聞ばっぐの教室が開かれたり、中山間のお年寄りたちが集落活動センターで新聞ばっぐを作ったりもしている。新聞ばっぐは、いろんな使命をそのばっぐの中に入れて一人歩きして行ってるところもありますね。

梅原

共感した人が、勝手に増殖していくんやろうね。それはそれで、ええんちゃうか。社会に馴染んでいくことがええんじゃないかな。聞くところによると、高知の日曜市でも新聞ばっぐを使い始めた。農家の人が忙しいだろうに、自分らで新聞ばっぐを作ってきて使っているというのよ。そういうのがええんちゃう? 東北でやっていることは東北でやる。地域でやっていることは地域でやる。聞くところによると、四万十ドラマが手伝った道の駅がつながって、すでに京都府の南山城村や石川県能登の道の駅でも新聞ばっぐがレジ袋として使われている。そのばっぐをそれぞれの地域の新聞で、地域の人がチームを作って小遣い稼ぎとして新聞ばっぐを折れば、そこで小さな経済が小さく回る。道の駅は道でつながっているから、日本中の道の駅が連携していけば、新聞ばっぐを使っている道の駅だけでマップになるよな。今はまだ3ヶ所だけれど、まあ、ぼちぼち。今、俺の中では照準は世界やね。早く世界へ行ってみたい。

新聞ばっぐを売るのではなく、
世界に作り方のワークショップを売りにいく。

池田

そういえば、何年か前にベルギーで面白い新聞ばっぐの試みがなされたことがありましたよね。

梅原

ベルギーで放送局のディレクターをしていたエズラさん。奥さんが四万十の人で里帰りしている時に出会った。彼は有能な男でさ、ベルギーの4大トップデザイナーに週替わりで新聞の紙面のデザインを依頼し、デモルガン紙に掲載した。その紙面で新聞ばっぐが作れるわけよ。作り方はWEB上で教えた。ベルギーの在日本大使館大使がコンクールの審査員もした。その一連の流れを見て、俺は驚いた。えっー、こんなことができるの!!と。振り返って考えてみれば、それが世界へ広がった時点じゃないか。メッセージは新聞ばっぐ自体が持っているなと思う。ニューヨークへ行った時も「えっー、それ何?」と一瞬でメッセージが伝わる。新聞紙でそんなのを作っちゃったの?みたいな。新聞ばっぐを持って歩いていたら、向こうからどんどん話しかけてくる。その辺の集大成をミラノでやってみると、どうなるんだろう。

池田

新聞ばっぐには環境問題として受け止められている部分もある。もともと、ちょっと環境にいいことしている新聞ばっぐ!というような感覚はあったんですかね?(笑)

梅原

まったくないよね。さっきも言ったけど、沈下橋の向こうに住んでいたとき、集落に3戸しか家がなくて、川の掃除に来てくださいと言われて、一人で河原に降りてゴミを拾い始めた。ところが下を見たらゴミは落ちていないんだけど、上を見たら木々にいっぱいレジ袋が引っかかっている。新聞紙なら引っかかっても1年もあれば、水に溶けて土に戻る。環境によいことという意味ではなく、自分たちが四万十流域でややビジネスを始めた時に金儲けをしようとする一方で、そういう問題もクリアしていかなければいけないと思ってNPO法人リバーを作ったわけで、ビジネスと同時に自分たちが売っていくものに対して責任を持つというところから新聞ばっぐは生まれたもの。なので、うん、やってる、やってる、環境運動!みたいにはなりたくないと思っている。(笑)
そういう意味では、みんなに届けたい、この概念を!!と思うんだけど、でも環境運動にはなりたくないという、自分の中でそういう矛盾も孕んでいるような感じ。新聞ばっぐをみんなで作って、環境にいいでしょというのは恥ずかしいし、気持ち悪いやんか。

池田

その矛盾を孕みながらも環境問題に関係していることは確かです。 SDGs、サステナブルという、ちょっと感じのいいことばや概念も出てきましたし。(笑)

梅原

今まで環境問題と一言でくくられていたものはSDGsと言い始め、サステナブルというコトバに取って代わり、その概念は共有すべきで反対するべきものではない。わりに機能しやすい感じもする。なんとなく環境というと、なんか良いことしている感じだけど、あなた、これはどうなの? 森林はどうなの?プラスチックはどうなの?貧困はどうなの?と、カテゴリーが17に分かれているのでターゲットが見えてくる。そういう中で新聞ばっぐはプラスチックはどうなの?のカテゴリーにも入って行くし、もったいないはどうなの?にも入って行くし、教育にも入っていけるんじゃないの?そういう意味ではSDGsという世界の価値観に、新聞ばっぐが登場するような感じもする。

池田

ミラノではどんなふうにアピールを?

梅原

運動とは見せないけれど、楽しみながら地球を守りましょうというような、新しいメッセージを託したい。そのために1個100円で新聞ばっぐを買ってくださいというのは、どうもピタッとこない。私たちはワークショップを売りに行く。その作り方を売りに行く。デザインウィークは世界の市場なので、各国からこの作り方を教えてねと言われたら、チームを組んで喜んで行きますよ!という戦法に変えた。アングロサクソンのやや不器用な人には、少し難しいテクニックもあるけれど、わかりやすいシステムになっているから参加してもらえばいいだけ。

池田

この先、新聞ばっぐはどういうふうになればいいと思っていますか。

梅原

世界のどこにでも新聞はある。世界の文化の先っちょであるニューヨーク、ファッションの先っちょであるパリ、そして砂漠で頭にモノを乗せて歩くアフリカの女性、その右手があいているので新聞ばっぐを持つと、もっとモノを運べるよという空想図が自分の中にパッパッパッと浮かんでくるの。そのどの国にもあるものを使って作りましょうよという提案。俺の頭の中には、世界から「その作り方教えてよ」と言って、世界と交流している四万十川がある。新聞ばっぐはどこから始まったの?と聞かれたら、日本最後の清流と呼ばれるきれいな川があって、そこにレジ袋が流れていたからこうなったのよーと。あなたの国や町にも川があって、レジ袋がきっと流れているはず。それが海に流れてマイクロプラスチックになって、魚のお腹の中に入っていく。それを私たちが食べているのだということも含め、自分たちが人間が作り出すものが、そういうモノ、そういう環境、そういう循環を作っているのだということを薄っすらと言いたい。グレタさんみたいには言いたくはないなと。(笑)



「ほうらね。」 vol.2

文・新聞ばっぐ上級インストラクター 渡辺隆明さん


新聞ばっぐは、目にした瞬間にメッセージを伝える力を持っています。皆さん、一瞬でファンになりますね。私が初めて新聞ばっぐに出会ったのは10年ぐらい前、梅原さんが主宰されている「第一回84会議」の時で、先着100名に新聞ばっぐをくれました。私は学校教材の販売をしていて、どちらにも興味があったので参加したのですが、新聞紙で出来たモノだから、どうせ大したことはないだろうと思っていたのです。ところが予想以上にすばらしく「これはすごいバッグだな」と驚き、感動しました。その後、第1回インストラクターの養成講座が開催されると聞き、すぐに申し込んだのがきっかけ。以来、インストラクター第1期生として活動し、現在に至っています。初めて新聞ばっぐをみた人は、私と同じように驚き、その次に自分でも作ってみたいと思うようです。

ですが、実際に習ってみるとこれがなかなか難しいけれど、新聞紙のデザインと折り方次第でどんなカタチにもなる面白さがある。その難しさとともに作る人の知恵でいくらでも可能性が広がっていくのも新聞ばっぐの魅力です。現在、インストラクターは全国に600人以上。私のような男性メンバーは60人ぐらいいます。私は全国の養成講座にも出かけますし、インストラクターのためのフォロー講習をする講師としても活動をしていて、新聞ばっぐが私を全国に連れて行ってくれます。人生を楽しくしてくれたように思いますね。

新聞ばっぐには、古新聞で作れるエコバッグとして環境意識を強く持った一面もありますが、なによりもシンプルに「人と人をつなぐ役割」というか、そこに「コミュニティーを生むチカラ」のようなものがあります。私たちが主催している作り方教室には小学生の環境学習や高齢者の方が多いのですが、特に中山間の高齢者に新聞バッグをお教えすると、ただ楽しんで作って終わりではなくて、次はみんなで集まって作ろうという広がりが生まれていきます。そして東北の新聞ばっぐプロジェクトのように苦しい時を支え、生きがいを作り、ビジネスを生むばっぐともなります。新聞ばっぐは私たちの想像以上にいろんな一面があり、いろんな役割を担っているような気がします。新聞ばっぐって、すごい発明ですよね。未来へと運ばれていく日本人の知恵だと思っています。

世界中のどの国々でも人と人をつなぐ、一つの役割にもなると思いますし、言葉が通じなくてもコミュニケーションができます。今、ミラノサローネに向けて、外国の方にも簡単に作ってもらえるようにより教えやすいもの、作りやすいものをインストラクター同士で工夫し、考えているところ。新聞ばっぐの考え方を大事に伝えながら、ばっぐそのもののデザイン性、クオリティーを高めていくのも私たちインストラクターの役割かなと思っていますし、私も2021ミラノサローネに行く予定。新聞ばっぐの中に環境への意識を楽しくやさしく伝える世界のアイコンになってほしいという夢も入れて行くつもりです。