梅原真デザイン事務所 - UMEBARA DESIGN OFFICE
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ないものはない

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ニッポンの端っこを見に行った。

池田

ないものはない。何もない、すべてあるという両方の意味にも受け取れます。小さい島のこの潔い叫びが面白く、深い。

梅原

予算20万円の小さい名刺のデザインから始まったんやけどね (笑)。小さいは油断ならへんで。

池田

いきなり深い話です(笑)。そもそも、またなぜ、太平洋側に住む梅原さんが日本海に浮かぶ島根県海士町の仕事をすることに?

梅原

話せば、ちと遠くて長い。大阪の大学を卒業して高知に帰ってきた時点から、俺の身体はすでにローカルにあって、高知放送の制作会社に勤め、そこを辞めてフリーランスになってからも、東京にずっと背を向けて高知だけを見て来たわけよ。高知の仕事しかやらんと決めてもいた。ところがさ、フリーなって15年ぐらい経った1995年ごろ、東京のリクルート地域活性化事業部の玉沖仁美さんから仕事に呼ばれた。玉沖さんとは、漁師が釣って漁師が焼いたの「土佐の一本釣り、カツオのたたき」の仕事をしていた時に知り合うた。その玉沖さんに「半島振興法による半島資源調査」の仕事に誘われたのが最初のきっかけ。

池田

半島振興法?

梅原

1985年に生まれた法律で、三方が海に囲まれて平地も少ない半島、交通が不便で観光地にもならず、経済・産業が立ち遅れている半島地域を活性化するために制定された。その半島資源調査に指定された半島が全国に23あって、10万人単位で人口があるところ。その半島を毎年4年間かけて回る仕事よ。けど、俺、この仕事を受けるかどうか、結構悩んだ。背を向けている東京から仕事が来たわけやから。

池田

高知の仕事しかやらないと決めていた意地もありますからねえ。どのように自分に折り合いを?

梅原

確かに東京から来た仕事やけど、行くのは半島調査やから。しかも半島って、全部、田舎なのよ。北は積丹半島から下北半島、津軽半島、男鹿半島、能登半島、丹後半島、大隅半島など、いわば、日本の端っこを見に行くわけで、相当、面白いんじゃないかと思って引き受けたら、やっぱり面白かった! たとえば、津軽半島の竜飛岬には大きな碑があって、そのスイッチボタンを押すと、ジャジャジャジャーンとイントロが流れて「津軽半島冬景色」が流れる。そんな先っちょまで行って、なかなかボタン押さへんでしょ(笑)。
そうやって4~5年かけて23半島を巡りながら、人はどう暮らしているのか、どんな資源があるのかなど、延々と見て来たわけよ。昔、北前船が行き来していた頃は半島のほうが栄えていたけれど、内陸の交通機関に移ったら半島は置いて行かれた。回遊性がないので、行ったらまた、同じ道を戻らにゃいかん。人間は回遊したいんだなということも学んだし、日本の半島の個性や特性、文化的なことも学んだ。結果的に自分の身になった。その半島の延長線上に離島があった。

池田

それが島根県の離島、隠岐海士町。「島じゃ常識 サザエカレー」ですね。

梅原

これもリクルート社からの仕事で1997年ごろやったかな。島ではカレーに牛肉ではなく、サザエを入れる。俺らからすると、豊かやなあと羨ましく思うけれど、島の人たちにとってはコンプレックスでもあったようで、「島じゃ常識は、恥ずかしいからイヤです。やめてください」と何回も拒否された。結局、時間切れになって販売したわけだけど、それがすぐにヒットして、テレビやマスコミが海士町に取材に来るきっかけは「島じゃ常識」が入り口になった。
すると、彼らは商標を取りたくなって連絡をくれた。「小さい島でお金ないでしょ、商標とかそんな、勝手に使ってください、お金は要りません、要りません」と預けたわけよ。そして次に海士町に呼ばれたのは10年後の2007年ごろやったかな。げろげろ、船酔いしながら行った。その時、ついでのようにに頼まれた仕事は名刺のデザインやった。サザエカレーは堂々とした島の産業になっていて、今じゃ毎年2万食売り上げているらしいで。そのヒットをきっかけに岩牡蠣やら薬草茶やら、次々に新しい産業が生まれていた。Iターン者も500人以上いるらしい。

池田

役場の名刺を、ですか。

梅原

その時に「それってさ、島じゃ常識というロゴは入ってへんの?ロゴもコトバも10年ほど前に渡してあったやんか」と聞いたわけ。すると、担当者も変わっていて、当時のことはわからないという。
そこで俺は考えた。あの時に、この人たちに「500万円です」って言っておけば、「ええっー、これ高いぞ」と言いながら大事に使ったんじゃないかと。タダであげますよ、どうぞ使ってくださいというと、ぼやぁっとして放ってあるわけよ。それなら、自分たちのアイデンティティーを乗っけるのが名刺だから、コンセプトがいるでしょ。「島じゃ常識」に変わるコンセプト考えましょう。というところから考え始めた。

ほんとうのことはローカルから言え。小さな島から言え。

池田

そして「ないものはない」というアイデンティーにたどり着いた。

梅原

「ないものはない」の前は「LOVE ISLAND 海士町」という展開をやっていたらしい。そのロゴを見ると悲しいわけよ。どんな田舎も悲しいけれど、“私たちは愛の島です、どうぞ来てくださーい”と媚びてるんやからな。この悲しさってなんやろというのは一目瞭然じゃない?
そうしてアイデンティティー探し始めて、最初に彼らが考えたのは「ヤッハズ」というコトバだった。「みんなで頑張ろう!」というような意味らしい。ロゴ化しようとしたけれど、意味がわかりづらい。
それで、一橋大学を出て島で「なまこ漁師」をしている宮崎雅也くんという人と知り合った。宮崎くんが別件でボクの事務所に来ることになり、話をしているうちに、一橋大学の前に文房具屋さんがあって「これ、ある?」と聞いたら「あるに決まっているじゃない。ここを見なさい」と言われ、そこを見ると「ないものはない」と書かれている。また別の日に行き、「これ、ある?」と聞いたら「それはないよ。ここを見なさい。」とその張り紙を見せられる。
その話を聞いた途端、子どもの頃、小学校の校門の前にあった文房具屋さんとオーバーラップした。そこにいた、おばちゃんが「ここを見なさい。」と言ってる姿が浮かんだ!
これや、これでええんと違うんか???
ないものはないと言い切れるこの島。信号はない、コンビニない、パチンコない、スタバない。ないものはないと言わんかい。日本の小さな一点の島から、ちゃんとしたことを言えよ、ほんとうのことはローカルから言え!!と。はじめにも言ったけど予算は20万円やから、「ないものはない」とフォント文字をちゃっちゃっと配置しているだけのデザインよ(笑)。でも、これはいくら頭がやわらかい当時の山内道雄町長でも、相当、問題があるだろうと思ったら、すんなりオッケーになった。

池田

海士町は、よい財政の使い方をしましたね (笑)

梅原

その後、観光課から観光ポスターの依頼があった。島にはきれいな海があり、島があり、風景がある。キレイな写真を使ったポスターを考えたが、もうすでに、そんなものはいっぱいある。それなら、名刺に使った「ないものはない」のロゴを使ったらええんちゃう?ということで、それをポスターにした。コンサルタントに相談したらしく、今度は丁度いい予算をくれた(笑)。そのポスターをきちっと貼りたいから、俺、海士町までバンバン貼りに行った。

池田

げろげろ船酔いしながら、またなぜ、そこまで?

梅原

根性入れようと思って(笑)。だって、作ったら、役場はまた、ほえっ~と放ったらかしにするやん。あかん、貼るぞ!!と。役場の中もフェリー乗り場にも、とにかく空いているスペースには全部、自分で貼った。俺、それはエネルギー込めたな。

池田

砂浜美術館は「この町に美術館はありません、この砂浜が美術館です」というのがコンセプトでした。あるもので四万十川を包もうということから新聞バッグが生まれた。この「ないものはない」もまた、同じ1本の考え方の延長線上にあるように思いますね。

梅原

まったく同じやね。それは俺という同じ人間のモノを見るときの目線やから、ブレんやろ。共通しているのは「そこにあるものでやれ」という考え方やね。自分たちの足元をしっかり見て、そこにあるものでやるから、人はそこに行きたいと思うわけで、LOVE ISLANDと自分らを飾り立てて島に来てくれというのはアカンぞと。何にもないんですわぁと言うほうが、ないところへ行くんちゃうかい。それぞれの個性の上にコミュニケーションがあるんとちゃうかい。という意味でも根っこは共通している。
あるもんでやって行こう。島にあるもんは何やねん。このまちにあるもんは何やねん。地域、地域の個性を大切にしていく。人間もそうや。地域、地域に考え方があったらステキやないか。根っこはそうちゃう?それをフラットにしようとしているから、日本のローカルはあかんのじゃない?

池田

ないものはないと言い切ったら、ローカルは悲しくなくなる。梅原さんはよく、マイナスにマイナスをかけるとプラスになるという話をされますが、それに近いですか?

梅原

ないものはないーというのは、マイナスで不利な離島やから、そこにプラスのモノを無理に持って来たらマイナスやろ。正直にないものはない、全部あるんだということも笑いを入れながら、そう言い切ってしまう方が、そこに大きな自分たちのアイデンティティーがあるんちゃうの?
自分の地域に合うことをやっていけばいいのに、マイナスだから大きくなろうとして別のところからプラスを持って来て掛け合わせたら、マイナスになっちゃったという場面を見るよね。砂浜美術館の後、リゾート開発したところなんか、今、とんでもないマイナスになってしまっているやんか。

そして、グローバルないものはない会議へ
海外の人の心にもバキュンと入るコンセプト

池田

その後、2014年、第二次安倍内閣の所信表明でこの「ないものはない」が引用された。

梅原

俺、安倍ちゃんはスキやないけど(笑)。所信表明の地方創生のくだりで、「大きな都市をまねるのではなく、自分たちの地域を、ないものはない、というアイデンティティーを持って、生きている島があるじゃないか」みたいなことを言うとったな。
海士町は結構、教育で成功もしている。隠岐島前教育魅力化プロジェクトというのを展開していて、圧倒的に不利な離島から教育のグローバル化をめざしている。その変革の価値観にも「ないものはない」という考え方が示されていて、このコトバが本当に島のアイデンティティーになったんやなと思うと、ちょっと感動するものがあるな。

池田

もはや、島の哲学になっているという感じがしますね。

梅原

ないものはない、この解釈をどうするのか。幅が広すぎるよね。でも、心に届く何かがある。
島にはブータンやケニアなど発展途上国からも教育の視察に来る。港には「ないものはない」のポスターが貼ってある。ひらがなが読めないから、みんな、その意味を聞く。ないものはない。we have nothing、we have everything というふうな解説をするうちに、それがハマってしまって、フェリーで帰る時に、さようならではなく「ないものはなーい」と言いながら手を振るんやて。そのコンセプトがバキュンと海外の人の心に入るんだって。香港で学会があった時にも「ないものはない」が議題になるような研究会があったらしい。
それは島の彼らが自分たちのアイデンティティーを表す言葉として積極的に使い始めたからなのか、外国人がそのコンセプトに共感してくれるからそうなったのかはわからんけんどね。
今、ふと思ったんやけど、一旦、空っぽになることが人間豊かなことやでみたいなことに近いんのかな。

池田

意図せずに、これもローカルから世界へと広がっていきそうですね。

梅原

実は「ないものはないをグローバルに展開したいけれど、どうしたらよいか」という相談を受けている。俺がすぐ浮かんだのは「グローバルないものはない会議」を海士町で開くこと。その後、コロナのおかげでズームが活用されるようになり、わざわざ、海士町まで行かなくても打ち合わせや会議ができるようになった。その会議をどういうふうに仕立てるのか、登壇者は誰なのか、コーディネートによって違ってくるしね。そのためのサイトを開設してほしいということで、今、まさに進めているところです。そうしているうちに次の展開が始まって行くんじゃないかな。まだまだ、これから。いよいよ、これからって感じやな。